120回目のごみ拾いと、一通の手紙
2026/08/01
120回目のごみ拾いと、一通の手紙
今朝の早朝ごみ拾いは、通算120回目となりました。
毎朝続けていると、「今日は120回目だから特別だ」と思うことはあまりありません。
ただ、今日という日に不思議な出来事がありました。
引っ越しの準備で古い書類を整理していると、一通の手紙が出てきたのです。
それは、私が慶應義塾大学ラグビー部の監督に就任した最初の年、新4年生になるM君からいただいた手紙でした。
何十年ぶりかに読み返してみると、当時のことが昨日のことのようによみがえってきま
した。
監督という立場は、勝敗の責任を背負い、常に結果を求められる世界です。
毎日が緊張の連続で、「学生たちのために」という思いだけで走り続けていたように思
います。
そんな私の姿を、一番近くで見ていた学生の一人が書いてくれた手紙。
その一文字一文字から、当時は気付かなかった学生たちの思いや、信頼が伝わってきて
、胸が熱くなりました。
最近、私は毎朝ごみ拾いを続けています。
ごみを拾うことは、決して派手なことではありません。
誰かに褒められるためでもありません。
ただ、自分が正しいと思うことを、淡々と積み重ねているだけです。
手紙を読み進めているうちに、ふと心の中で一つのことに気付きました。
「これだ。私がごみ拾いを始めたきっかけを作ってくれたのはMだった。」
彼は学生時代、タバコのポイ捨てをしてしまったことを心から反省し、その懺悔の気持ちとしてごみ拾いを始めたのです。
もちろん、悪意があって捨てたわけではありません。
しかし、「自分がしてしまったことを、そのままにしてはいけない」という素直な心が
、彼をごみ拾いへと向かわせました。
その出来事は、ずっと私の心のどこかに残っていたのでしょう。
だからこそ、私自身もごみ拾いを始める時、「これまで多くの方々にご迷惑をおかけしてきた。その懺悔の気持ちを形にしたい。」という思いが自然と湧いてきたのだと思い
ます。
ごみ拾いは、人のためでもありますが、それ以上に自分自身の心を磨く行為なのかもしれません。
感謝を忘れず、謙虚な気持ちを忘れず、そして少しでも世の中のお役に立てる人間でありたい。
その原点を思い出させてくれたのが、120回目のごみ拾いの日に再会したM君の一通の手
紙でした。
人生には、思いがけないタイミングで「原点」を思い出させてくれる出来事があります
。
120回目のごみ拾いの日に、この手紙が出てきたことは偶然ではなく、必然だったような気がしています。
M、本当にありがとう。
君が教えてくれた「懺悔をごみ拾いという行動で表す」という生き方は、何十年もの時
を経て、今度は私自身の生き方になりました。
私もこれから、一日一日を大切に、感謝と懺悔の心を忘れず、ごみを拾い続けていきま
す。

