悔しさがあったからこそ今がある
2026/06/17
振り返るといろいろありました。
一昨日の日本対オランダ戦の余韻に浸りながら、関連する記事を読んでいたところ、と
ても興味深い記事を見つけました。
当時サッカー日本代表だった古橋亨梧選手が、試合途中で交代となってベンチへ戻る際
、ピッチに落ちていたゴミを拾って片付けたという記事でした。
海外のファンからは、
「これが日本の文化なのか」
「素晴らしい行動だ」
といった称賛の声が寄せられていたそうです。
しかし一方で、その行動に対して冷ややかな見方をする意見もあったようです。
私はその記事を読んで、少し複雑な気持ちになりました。
なぜなら、私は毎朝ごみ拾いを続けているからです。
ごみを一つ拾うことは誰にでもできます。
しかし、それを毎日続けることは決して簡単なことではありません。
雨の日もあります。
体調が優れない日もあります。
仕事が忙しい日もあります。
それでも続けていると、不思議とごみが気になるようになります。
そして街をきれいにしたいという気持ちが自然と生まれてきます。
だから私は思うのです。
もし、ごみ拾いをしている人を冷笑するのであれば、まず自分自身が何か一つでも世の
ため人のためになることを継続してから言ってほしいと。
もちろん人それぞれ考え方は自由です。
しかし、実際に行動している人を批判するよりも、その行動によって少しでも街がきれ
いになったことを評価する方が、私は素敵だと思います。
一昨日の試合でも、多くの日本人サポーターが現地で日本代表を応援していました。
そして試合後にはスタンドのごみ拾いを行っていたそうです。
私はそのニュースを見て、嬉しい気持ちとともに、むしろ申し訳ない気持ちになりました。
自分はただテレビの前で応援していただけなのに、遠く離れた現地では日本代表を応援した
後に、ごみ拾いまでしてくださっている方々がいる。
本当に頭が下がる思いです。
こうした行動を見ていると、古橋選手の行動も決して特別なものではなく、日本人が昔
から大切にしてきた文化の延長線上にあるのかもしれないと感じました。
そしてこの記事を読んでいるうちに、私自身の若い頃のことも思い出しました。
1986年、私はラグビージャパンの一員として北米遠征に参加しました。
当時対戦したアメリカのチームには、アメリカンフットボール出身の選手が数多くいま
した。
彼らのタックルはまるでロケットのようでした。
現在なら反則となるような形のタックルも当時は認められており、私が得意としていた
間合いを活かして相手を抜くプレーがまったく通用しませんでした。
結果は散々でした。
そして私はその責任を痛感することになりました。
翌年開催された第1回ラグビーワールドカップ。
私は日本代表から外れ、出場することができませんでした。
あの時の悔しさは今でも忘れることができません。
人生の中でも大きな挫折の一つだったと思います。
しかし不思議なものです。
人生を振り返ると、良かったことよりも悔しかったことや苦しかったことの方が強く記
憶に残っています。
そして、その悔しさがあったからこそ、人は成長できるのかもしれません。
もしあの時すべてが順調だったら、今の私はいなかったと思います。
ごみ拾いを毎日続けることもなかったかもしれません。
仕事で壁にぶつかっても乗り越えようとする気持ちも生まれなかったかもしれません。
成功は嬉しいものです。
しかし、人を強くするのは案外失敗や挫折なのかもしれません。
古橋選手のごみ拾いのニュースを見て、日本人の文化について考えました。
そして同時に、自分自身の人生についても考える機会をいただきました。
悔しいこと。
思い通りにならないこと。
努力が報われないこと。
人生にはたくさんあります。
しかし、その経験があるからこそ、今の自分がある。
そう思えば、過去の悔しさにも感謝できるような気がします。
ご先祖様、神様、そして宇宙の大きなご加護に感謝しながら、これからも毎朝のごみ拾
いを続け、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。
(しかしながら19日の夜から20,21,22日とインターペット大阪出展のために大阪へ行きます
ので、3月26日以来続けてきた毎日のゴミ拾いを初めて中断させていただきますことを付け加えさせていただきます。ついでにブログも中断
してインターペット大阪に全集中する覚悟です。)
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

