本日の学び
2021/05/16
心身統一法は修行にあらず
心身統一法の目的は、「人間の生命に賦与された本然の力の完全発揮」であるが、この方法を修行として行ったのでは第二義的となる。
では、第一義的とは何かというと、それは講習や書籍、あるいは行修を通して教える各種の方法を、日常行事として行うことである。
すなわち、特別な機会に、特別な気持ちで行うなどと錯覚してはいけない。
だから、一人一人の日常生活のそれ自体が、その人にとっての心身統一法そのものでなければならない。
なるほどですねー。
この4月から朝の5時過ぎに歩き出し、懸垂、ぶら下がり、逆立ち、深呼吸、体操、空手の基本稽古、瞑想、お祈りということを繰り返していますが、これも修行ではなく今ではただの習慣になってきています。
まさに、これこそが私の心身統一法になっていってくれたらよいなーとつくづく思います。